催眠療法を受けてみないか?

突然、父親が真摯な顔をしていうから、コンラートは、なぜそんなものを
受けなければならないのか?という、当然な質問をした。

父は、暫く黙った後、徐に口を開いた。

「お前の中に、もう一人のお前がいる」のだと――。

冗談だろう?そう、思ったけれど、こと そういう方面で冗談などを言う人ではないと知っていた。
それでも、自分の中にもう一人の自分ってどういうことなのだろう?

お前は、解離性同一性障害 いわゆる多重人格という症状を発症した。

そう告げられて、コンラートは、ただ呆然と父親を見上げた。
告げられた内容が、よく噛み砕けない…何を発症したって?
自分と同じ琥珀に銀色の虹彩を揺らめかして、父は『すまない』と苦しげに謝った。

多重人格?それは、俺は、俺ではないという事ですか?

コンラート・ウェラーという存在が希薄になってゆく。





年下の彼・少年との別離編 12





君のもう一人の人格は、君の守護者だと名乗っている。彼は、君を傷つけるものから守るとね。
彼は、推測だが、君の防衛本能が作り出した人格ではないだろうかと、こちらでは仮説を立てている。

「自己防衛ですか?」
「そうだよ、言いにくいだろうケド、君は昔、虐待を受けていたね?」

ビクッ!!っと、コンラートの肩が揺れた。あえて、虐待と一括りにしているのは、彼の記憶が
どこまであるか判らない為だ。

「は…い‥」

「その過剰なストレスが原因かもしれないね〜?君は優しい子だ。優しすぎて、辛いことも自分の
中にしまいこんでいなかったかい?」

「……」
俯くコンラートに、ダンヒーリーの大きな掌がのせられる。

「ツェリに、余計な心配を掛けたくなかった。お前を慕うヴォルフラム君に、理想の兄でいたかった。
だから頑張ったんだろう?お前は努力家だからな」
「父上ぇっ・・」

じんわりと父親の体温が伝わってくると、コンラートは涙目で見上げた。

「あの頃、側にいてやれなかったが、今は違う!何があっても、俺は親として最後までお前と一緒に
いるぞ。怖かったら怖いといっていい、思ったままを口にしても、誰もお前を嫌いはしないさ、な?」

昔とは違う、お前はこの四年で、信頼に足りる友人達を作ってきただろう?もう、独りではないんだ。

『コンラッドー!おかえり』
『今帰りかい?コンラート、宿題見てあげるから、有利の横に座りなよ』
『コンラッド〜おっかえり〜今日はグリエ特性のカレーよん』
『こら、グリエ、お玉を振るな!コンラッドお帰り、サラダはポテトでいいか?』
耳の奥で優しい日常が聞こえる。あぁ、そうだ、今は違う。


もう、俺は、『独人―ヒトリ― 』ではない


あぁ、希薄になっていた、コンラート・ウェラーが戻ってくる。

「父…うえ‥おれ…」


― …他人…信じ…ては、だ‥メ………戻って…来…ぃ……まだ・……外…キケ・ン…ッ


「え?今、何か?」
「どうしたコンラート?」
「今……いえ、何でもありません」


「さて、そこでだね?君の守護者と名乗っている、もう一人の君だけど?コンラート君は、彼と
会ったことはある?」
「会う…ですか?」
「会うというか、そうだね〜、お話とか、意識を共有するとかそういったことだ。どうも、彼の方では
それなりに君の記憶があるようなんだけど、君は彼と交代していた時の記憶はあるかい?」
「いいえ、ない…と、思います」
「君の目覚める前の最後の記憶は?」

コンラートは、必死に頭を働かす。たしか昼間、兄弟が授業参観にきて、渋谷家で夕食をとりながら
報告をして、ヨザックと二人家に帰ってから、お風呂に入って・・・それで・・・・


―― ダメ…思‥ぃ…出スナ…‥


ツキ…ッ!と、頭に痛みが走った。どうしたのだろうか?そこから先が思い出せない。

「家で、お風呂に入っていたと思います」
「そう、有難う‥」

ロドリゲスとダンヒーリーは顔を見合す、家にビーレフェルト氏から電話があり呼び出されて、ビルに
行くまでは確かにこのコンラートだったはず、なのに彼にはその記憶がない。そこで既に入れ替わって
いたのか?いいや、それでは、おかしい。もし入れ替わっているなら、シュピッツヴェーグを
嫌うあの人格の方が、彼らに接触するとは思えない。ヴォルフラムを見殺しにしてでも、コンラートを
守ろうとするはずだ。と、いうことは?

「成る程、守護者か…たしかにな」
ダンヒーリーが、納得したようだ。どうやら、コンラートの記憶は、ビーレフェルトが接触した時点
から、守護者である彼によって封じられているのだろう?
まるで親のように、守護者と名乗った人格は、このコンラートを守ろうとしているようだ。

だがそれは、本来、親であるダンヒーリーとツェツィーリエの仕事だったはずだ。
ダンヒーリーは当時、ツェツィーリエの再婚により、コンラートに接触は出来なかったとはいえ、
それでも責任を放棄する気はなかった。『今』息子の側にいるのは、自分なのだから。

とはいえ、

「つまり、私達の至らなさを、彼が補ってくれていたのか?」
思わず自嘲する。親を恨むなり罵るなりしていいのに、あくまでも彼らを尊重しようとする、優し
すぎる息子に甘えていたのは、親である自分たちの方だなんて。


「さて、それでね?これから行うのは、君に催眠術を掛けて、君が表層意識では覚えていない事柄、
その頃に何があって、君が何を思ったか?何を我慢していたのか?そういった事を紐解いていこう
というものなんだ。そして、君のもう一人の人格ができた原因を探っていこうというものなんだ」

ここまでは、わかるね?

ロドリゲスに問われて、コクンとコンラートが頷いた。

「さて、コレからが大切なんだ。体の病気だと、病の原因をつきとめたら何をする?」
「病気ですから、薬?」
おずおずと答えると、正解!と、ロドリゲスが頷く。

「そう、だから、心にも薬が必要なんだ。ただ、相手は心だからね?軟膏を塗ったりは出来ない。
君が必要とするのは、求める相手の愛情だったり、信頼だったり、許しだったり、それは人それぞれ
なんだよ。誰のどんな心が必要なのか?相手は自分なのか他人なのか?そこを間違えたらいけない」

だから、僕(医者)が、ついているんだけどね?

「あぁ、もちろん、必要なら精神が安定するように、投薬も行うけどね」
「‥あのっ! 薬って他人だったり、自分だったりするんですか?」
「そうだよ、他人だけじゃない、その傷のこと人格のこと、自分が理解して受け入れる事が
必要なんだよ。君の場合は…治療方針としてはというのかな?人格の統合を目指そうと思うんだ」
「統合?」
「そうだコンラート、お前の中のもう一人も、やはりお前なんだ」
「そうだよ、元々君の中にあった者(人格)だしね。共存という手もあるんだけれど、君の交代人格は
ちょっと『やんちゃ』さんでね〜。医者の中には、交代人格を殺して消去する奴もいるけどね?
僕は、彼らは生まれなくてはならない理由があったのだから、無理に消すのは良くないと思っている。
支障がなければ、主人格と交代人格で共存という手もある。だけれど、君の場合は統合できるのでは
ないかと思っている。」


ただし、これは最終決定ではないんだ。統合には、相手の合意が必要だしね?それも、長期戦になるから。


「………はい、わかりました」
理解できたようで、頷く彼。


話が早いと助かるな〜と、ロドリゲスは安堵した。多重人格を発症する小児患者は、精神的に不安定
な場合が多い。症状を説明する時が一番、危険なのだ。本人、それに付き添いの家族が受け入れられずに
暴れることなどがあるからだ。

その点、この患者は楽だが、この物分りの良さが曲者かもしれない。大人びている顔の下に、荒れ
狂う大人の男への嫌悪を持っている。『守護者』そう名乗った彼の、凄まじいほどの敵愾心。

それを本来持っているべきなのは、目の前の少年のほうなのだ。

だが、この4年間、人格交代は行われていなかった。それは多分、当時いた母親の元ではなく、この
父親の元に身を寄せたからだろう?少年を取り巻く環境が変わり、彼自身が外敵から守られなくとも
良くなった為に、人格交代をしてまで自身を守らなくてはならないということがなくなったせいだ。
コンラートを取巻く環境は、整っていると見ていい。

ここ数日彼らとすごしてみて、皆がこの子を真摯に心配している。

先程も述べたとおり、多重人格という症状を発症した場合、本人はもちろん、周りが受け止めきれ
ない場合も多い。だが、このダンヒーリー・ウェラーという父親は、あっさりとこの事実を受け入れた。
そして、真っ向から対峙し、もう一人の息子として別人格にまで父親として責任を持とうとした。
器の大きい人だ・・・と、ロドリゲスは感心した。父親である彼がそう示したので、周りもまったく
混乱していない。いい傾向だと思う。

目の前の少年の落ち着きも、父親であるダンヒーリーがコンラートともう一人の人格の方も肯定して
いるのが大きいと見ていいだろう。いまの環境でなら、うまくいけば、このまま知らずに統合へと
向かったかもしれない。(それは、楽観過ぎるか?)

それが、今、現れた。彼は、コンラートにとって今が危険だと判断したのだろう?
と、なれば?やはり、コンラートを多重人格者にしてしまったのは、奴等なのだろうか?


【彼】が、抹殺しようとした男達。


その【排除】は、『彼ら』に任せよう。今頃、眼鏡を光らせて色々画策しているだろう、昔馴染みの
少年と、多分これから馴染みになるだろうもう一人の眼鏡の少年を思いそう結論付けた。


医者である彼に出来ることは、この少年の治療を進めること。


そしてもう一度、心からの笑顔を彼に―――





「では、治療方針を理解してくれた所で、催眠術を掛けてみたいのだけど?心の準備はいいかい?
それとも、一回休憩を入れるかい?」

一度に色々な事を聞かせたから、休憩を入れてからのほうが術に入りやすいかと、ロドリゲスは
聞いてみると、コンラートはしっかりと首を振った。

「いいえ、今からで大丈夫です」
気丈に振舞う視線には、確かな意思が煌く。おや?っとロドリゲスは、軽く目を見張った。

「ドクターたちの話からすると、俺の記憶のない時に、もう一人が出てきたということですよね?」
「うーん、そうだね」
「その俺は、何かしたんですね?」
「何かっていうか、動いてはいたね〜」
「・・・・・・・・・・・・誤魔化さなくては、ならないことですか?」
「ごまかすというか〜?あははは〜」

思ったとおり食わせ者だったか?頭の回転がいいのか?サクサクと人の言葉尻を捕まえて、あえて
ぼやかしていた部分をあらわにしようとする。うーん、村田健以来の強敵だ・・困った困った。

「コンラート、不安なのか?」
そこに、助け舟登場。(よかった〜ヽ(T∀T)ノ)

「父上、不安というか?その、自分が知らないうちに行動していたとなると、もしユーリに迷惑を
かけてしまったりしたら・・・折角、このごろ男らしくなってきたって言われるようになったのに・・」

しゅん・・と、俯いた少年。迷惑が掛かるのを嫌がるのはわかるのだが、男らしくなったのって、
何の話なんだろうか?

「少しは、男として意識されてきたばかりなんですよ。なのに、最近は兄弟のことですっかり
元通りだし、というか気がつけば弟分に格下げです!!」


おい・・コンラート君?何言っているのかな〜?


「・・・・・・コンラート、わが息子ながら、お前の心配するところはそこかっ?」


だよね?普通は、もっと気にしたほうがいい事ってあるよね〜?多重人格だよ?君の中にもう一人
いるんだよ〜?ソコ、わかっているんだよねぇ〜?


「だって、ユーリに嫌われたら、どうするんですか!?」
だが、それが一番に決まっているだろうとばかりに、少年の方はバンバンとベットを叩く!


あぁ、この子、こういう子だったんだ?(-_-)…


もっとも、父親も慣れたもので、ゆったりと構えると、ぽんっと息子の肩に手を置いた。そして
力強く頷く。すると、期待に満ちた瞳が見上げる。

「大丈夫だ!ユーリだぞ、まかりまちがってもお前を嫌うことはない」
「本当ですか、父上?」
「ユーリだからな」
「ユーリですけど・・」
「なら、大丈夫だろう?」
「は・・い、そうですね、よかったぁ」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんですか、それ?


第三者にわかる理由が欲しいな〜と、ロドリゲスは思った。が、きっと感覚的なものなので、彼ら
でも説明しにくいのだろう?ここは、彼らの言う『ユーリだから』という説明で納得しておかねば。


まぁ、その内わかるだろう?


有利というと、健ちゃんの親友という彼だ。初め見た時に、彼はわき目も振らずに危険の只中に飛び
込んでいった。子供独特の真っ直ぐさで突っ走る様子に、勢いだけで連れて行って大丈夫かと危惧
したのだが、案の定というか、その場の異常さに勢いをなくすと、すっかり飲み込まれてしまった。

その後、ショックで怯えていた様子に、こんな普通の子供をここにおいておいていいのか?帰した方が
いいのではと心配したものだ。村田健と渋谷勝利の行動の方が、子供としては規格外なのだが、
そう思ってしまうほど、彼は普通すぎた。

だが、何がきっかけか?立ち直ってからの彼は、暴れるコンラートを追ってきて、諸悪の根源である
大人に食って掛かったのだ。その食って掛かり方が、なんとも小気味いいほどの啖呵の切り様だった。

あの行動で、普通すぎるという評価、それが間違いだったことに気がついた。彼は、大物の素質を持って
いる。器量の容量が大きいという感じだ。彼に掛かれば、あの普通さも魅力となってしまうような。

それが、村田健をひきつけ、コンラートを惹きつけているのか?


これは!と思った。村田健から頼まれて、日本に観光方々やってきてみれば、症例としては特別な
ことはないが、その環境などの特殊性は、興味深い。
中々面白いサンプルになりそうだ。ロドリゲスは、村田健以来の自分の興味を満足させてくれそうな
コンラートとその周辺に改めて興味をもったのだった。

「そろそろ、りラックスしてきたみたいだし、治療を始めたいけど、どうかなコンラート君?」
「はい、お願いします」

そして、この一見お姫様のように守られているが、その実、確かな意思を持つ患者にも興味が
ふつふつと沸いてきた。いいだろう?こうなったら、とことん付き合ってみようじゃない?

ロドリゲスは、コンラートに向かって、にこりと不敵にわらった。






まずは、過去に何があったかを探る事から始まった。ただ、これは、コンラートがその記憶を持って
いない可能性が大きい。交代人格である守護者が所持していて、コンラートに引き継がしていない
かもしれないのだ。

だが、その場合、必ず記憶に穴がある。それが何時、どこでであり、その前後の記憶で重要なものを
探していくのだが、今回は手がかりがあった。守護者によって、抹殺されそうになった人物。
その3人の人物が重なって、コンラートの人生に現れた所を探せばいい。
それは、コンラートが7つの時、あの屋敷にいた時より前にあるはずなのだ。術によって、過去へと
意識が連れ戻されたコンラートからは、当時の様子が語られ始める。

その内容はとても陰湿で、ダンヒーリーは、強く拳を握り締めて、必死に喚き散らしたいのを押えていた。
そこにあったのは、哀しくなるような愛を求める少年の心。それが、切り裂かれていく様子。
やがて、彼の記憶に混濁が現れた。
だが、それは思ったとおり、彼の記憶からは何もつかみ出せなかった。その時に、何かが起こった
のだろう?多分、その記憶は交代人格が持っていて、その傷をも彼が受け持っているのだろう?


辛い記憶を受け持って、頑なに主人格であるコンラートを守る人格、守護者とは、交代人格というより
保護人格なのだろう。保護人格とは、主人格の肉体や精神を守るためにいる保護者のような人格だ。


「今日はこれくらいにしておきましょう。これ以上は彼からは聞き出せません、守護者君と話を
しなくてはならないでしょう」
「そうですか、では、また日を改めて」
「では、ダンヒーリーさん、コンラート君は、このまま休ませましょう。大丈夫に見えて、きっと
疲れがたまっているでしょうし」
「わかりました。では、私は皆に簡単に説明してきます」
「じゃぁ、僕は、閉じこもっちゃっているヴォルフラム君のほうを」

そうして、大人たちが出て行くと、寝台に横たわっていたはずのコンラートがむくりと起きた。

「コンラート、お前はオレが守るのに、あんな記憶なんてお前は知らなくていい」

今は閉じられた扉を睨みつけて呟いた言葉は、誰に聞かれるとなく闇夜に消えた。


こうして、一日目は終わった。






二日目は、コンラートの保護人格を呼び出そうとしたが、彼は中々応えてくれず、その日は終わった。

「やはり、コンラートだな。頑固なところが一緒だ」と、ダンヒーリーさんは、苦笑していた。

動きがあったのは5日目。グウェンダルさんが戻ってきて、治療に同席したいと言い出したのだ。
だが、それは、ダンヒーリーが断固拒否した。意外であった。

「なぜです!私は兄です。当時の事にも責任があります。どうか、私も関わらせてください」
「だから、困るのだ。当時に関わっていた人間が、この治療に関わるのは避けたい。どうか、
ヴォルフラムくんをつれて、ここは帰ってくれ」
「そうそう、今は第一段階に入ったばかりです。あせらないで、この先の治療で貴方の力を借りる事も
あるでしょう。なにせ、解離性同一性障害は完治が難しいのです。治療法法もまだ確立していません。
特に彼の場合は、交代人格との統合を目指していますので、これから先が長いでしょう」

宥めるロドリゲスの言葉に、信じられない言葉を聞いて、グェンダルは目を見張った!

「統合だと?一つの人格に戻すのですか?アレを消さないで!?」
「消すというのは穏やかではないですね。交代人格の方も、間違いなく弟さんの心なんですよ?
それに彼の場合は、共存や消滅よりも統合を目指した方がいいのではと、思いまして」
「あの、攻撃性の高い人格とですか?それは、あの優しいコンラートに酷では!?」
「えぇ、攻撃性は高いですが、彼の交代人格は、どちらかといえば保護じん・・・」

かくという側面が大きくてと、説明しようとしたドクターの声は、第三者によって遮られた。

「あの化け物を、兄上に戻すのですって!ばかな!あんなの、消した方が良いに決まっています!」
すると、ドアの影からここ数日見なかった金髪の少年が出てきた。顔を真っ赤にして、鋭い目つきで
ロドリゲスを睨む。

「兄上!コンラート兄上をアメリカにつれて帰りましょう!そして、最高峰の医者に診せるんです!
こんなどこの馬の骨とも判らない医者よりも、もっと権威のある病院で診ていただいて、コンラート兄上
の中から、あの恐ろしい魔物を追い出してください!!」
少年は、長兄にすがりついて怒りをあらわにする。

「いや、しかし」
「兄上!まさか、兄上まで、コンラートの中にあんな恐ろしいものを取り込ませようとしているのですか!?」
「だから落ち着け!」
「もう、いいです!僕が、ちっちゃい兄上をお助けします!」

体を翻すと、バタバタと、ヴォルフラムは駆けて行ってしまった。あの方向は?

「いけない!あっちは、コンラートの部屋だ!」
子供特有の機動力で、ヴォルフラムはコンラートの部屋まで一直線に駆け抜けた!

「ちっちゃいあにうえ!!」
「ヴォルフッ!?」

ノックもしないで、部屋に駆け込んだ弟を見て、コンラートは驚いたが、すぐに相好を崩して
迎えてくれた。

「どうしたんだ?そんなに慌てて。ほら、そこの椅子に座って、横の冷蔵庫にプリンがあるから
食べるか?」
その優しい気遣いに、やはり自分の兄はこの兄だと、ヴォルフラムは確信した。

「ちっちゃい兄上、僕と一緒にアメリカに帰りましょう。母上におねがいして世界最高の医者を
つけます!そして、兄上の中からあの恐ろしい物を取り出して差し上げますから!」
「おそろしい?」

というのは、自分の保護人格のことだろうか?たしかに、自分ではない自分がいると聞いた時は、
その不可解さに恐れをいだいたが、聞く所によると、彼は自分を守ってくれているらしい。
だから不必要に恐れることは無いと説明を受けた。有利も、自分の事を助けてくれたと言っていたし、
もう一人もコンラートなのだから、仲良くなりたいといってくれた。

まぁ、それには、ちょっと嫉妬を覚えたけれど。

きょとんとしたコンラートに、ヴォルフラムは、彼が何も知らされて無いと知った。

「アイツは、兄上の体をのっとって、多くの人に暴力をふるって怪我を負わせました!乱暴で粗野で
恐ろしい化け物です!きっと、兄上をとじこめて、その体を乗っ取ろうとしているに違いありません!
グリエさんだって、僕の父上だって、アイツにやられて大怪我をしたんです!」

「え?」

―― ヨザックの怪我が、おれのせい?

「有利さんだって泣いていました!だから兄上、僕と一緒にかえって、ソイツを追い出しましょう!」
ぐいぐいとその腕を引っ張って、ヴォルフラムはここから連れ出そうとするが、コンラートは
それどころではない。ヨザックに怪我を負わせたのが自分だという事と、有利を泣かせたという
ことが信じられなかった。


「ヨザックのあの怪我、あれが俺のしたことだと?」

肩にひどい怪我を負っていた。未だに痛むのか、時折肩を震わしている義兄弟だったが、どうしたと
聞いてもちょっとドジったとだけしか、答えてくれなかった。

答えられないわけだ、あれが、俺の仕業なら、ヨザックは絶対に口には出さない。

「大丈夫です、僕が必ず兄上の中から、あいつを追い出しますから!」


そこに、ダンヒーリー達が追いついた。

「ヴォルフラム君!コンラートはまだ全身の炎症が治りきっていないんだ。出ていってくれないか!」
「父上!ヨザの怪我、俺のせいなんですか!?」

思わず問いただしたコンラートに、ダンヒーリーは一瞬声を詰まらす。だが、すぐに首を横に振ると、
あれはちょっと ヨザックがドジをして 怪我をしただけだと、笑って言い切った。

「ちがう!アイツが木刀で肩を潰したんだ!僕の父上も肉を食いちぎられた!あ、あんな恐ろしい
化け物!僕は・・ぼくは!絶対に兄上から追い出すんだ!」
「だまれ!!!ヴォルフラム!・・グウェン!この短慮な子供をつれて帰れ!」

とうとう、ダンヒーリーは声を荒げて怒鳴った!


「まってください、ヴォルフラムの言うことも一理有ります。コンラートの中に彼をもどすのは、
この子にとっても負荷になるはず。消去方法も視野に入れたほうが!」


「いい加減にして!コンラッドの前で、なにをいっているんだよ!?」


いつのまにか、そこには有利を初めとする、幼馴染達が集まっていた。まぁ、アレだけ騒げば、
彼らが気がついて駆けつけるだろう。

「有利の言うとおりです、病人の前で騒がないでください」
有利は怒鳴りつけると、コンラートの側まで走りより、村田が彼らとコンラートの間に立ちふさがる。

「は〜い、この坊ちゃんは、お帰りくださいね〜」
ぐいっと、ヨザックがヴォルフラムを廊下へと連れ出した。自分の怪我の事を、よりによって
コンラートに知らせるなんて、これが怒らずにいられようか?

「ユーリ、ヨザの怪我、俺のせいなんですか?」
「ちがう」
「うそです!」
「ちがう!」
「ユーリ本当の事を言って!」
コンラートは必死に、傍らの有利に説明を求める。だが、有利も頑なにそれを認めようとはしなかった。

「嘘じゃない、コンラート、ヨザの怪我は本人のドジだ!そして、それに君は関係ない」
村田は嘘をついていない、だって怪我をさせたのは別人格であって、彼ではないのだから。


「では、言い方を変えます。ヨザの怪我は、俺の肉体がしたことですか?」
「…キミって奴は…ッ!」
村田の表情がゆがむ。有利は息を呑んだ。ヨザックは、怒ったように壁を睨んでいた。

「俺が、したんですね?」
「ちがう!俺がドジッたんだ!あのくらいの攻撃を避けれなかったんだからな」

それでも、ヨザックはコンラートを庇おうとする。だが、それが かえって辛かった。

「お・・れが、ヨザを?他にも沢山傷つけただって…っ!」


そんな馬鹿なッ!?


「コンラート落ち着け!お前がしっかり意識を持って、その体を乗っ取られないようにすればいい!
私がいい医者を探してやる!二度と彼を暴れさせない!」
グウェンダルは、コンラートの手を取ると、励ますように言ったが、それに激怒したのがダンヒーリーだ。

「まだそんな事を言っているのか!?グウェンダル?」

コンラートは、統合に向けて治療を始めたばかりだ。ダンヒーリー達は、彼に危機さえなければ、
生活に支障は無いと判断したのだ。だから、暫くは共存をし、その後徐々に統合しようとしていたのに!
それを、保護人格を消しサルだと?彼は、手段はいただけないが、コンラートを守ってくれたのだ。
感謝してこそあれ、嫌うなどという気は起きないというのに!

「貴方こそ、コンラートにあの危ない人格を負わせて、大事なものをまた傷つけろというのですか?
泣かせろというのですか?私は、兄として弟にそんなことはさせれません!」


傷つける・・泣かせる?


コンラートは、ヨザックの巻かれた白い包帯を見た。そして、有利の唇の端が切れた顔も。

まさか、有利のこの傷も俺がっ!?

サァァーーーと、コンラートから血の気が引いた。

俺が?ユーリを?傷つけた?泣かせた?そんな馬鹿な!
だって、ユーリは、俺の一番大切な人!一番大事で大事で愛している人だ。

《一番?他人がか?また裏切られるだけなのに?》

違う、ユーリは、俺を裏切らない!いつでも、俺の手を繋いでいてくれた

《いいや違う、アレだって同じだ。あの弟と同じ、コレヲ見ロ!》

脳裏に突然浮かんだのは、立ち尽くす有利。あぁ、ユーリだ・・・コンラートは、縋る気持ちで彼に手を
伸ばした。

ユーリは いつでも 俺の手を繋いでくれる。

手をとってくれるのだと、疑いなんてまったく持たないコンラート。

そこにあるのは、


絶対的な信頼。
盲目的な好意。


ソレを与えておいて、有利はコンラートが さも必要としているその瞬間に、

ソノ手を

―― つかまなかった

ソノ心を

―― 突き放した


拒絶の叫びを上げて、有利はコンラートの手を叩き落とした!?


その姿に、幼い弟の姿が重なる。いつものように頭を撫でようと伸ばした手、それが叩き落とされる。


汚い手で触るな!!!


汚らわしいと、それまで大好きと言葉を乗せていた同じ唇で言い放つ!

弟は、自分の手を振り払って行ってしまった。

有利が…俺のを掴まなかった?あの日と同じように、振り払われた手。
呆然として、再び彼は彼へと手を上そうとした。だが、その前に怯えた彼は後ろへと一歩後ず去った。

ユーリ?

有利が、俺から・・・に・げた? 


怯えた顔、拒絶の瞳、逃げる体。あの日と同じ、また『僕』を置いてアナタも行ってしまうの?



うそだ!こんなコトは知らない!
《本当だ!これは事実だ!アレは逃げた》

 うそだ、ユーリが俺を
《本当だ、ユーリはお前を》



「「拒絶した」」





それは、コンラートを引き裂くのに、十分なほどの衝撃だった。










2009年 10月 4日UP
文中では、便宜上、多重人格症としている解離性同一性障害ですが、その治療法に
催眠療法を使うばあいもあるということで、必ず使うものではありませんし、医者や
催眠療養士によって、色々見解があります。そこは、つっこまないでください。
専門家でも難しい所ですから、作られた話としてみてね〜。間違いがあっても、スルーして
ください。一応、16人格の人の本は読んだんですがね、やっぱり心というのは難しいです。