なぁ、これで解かっただろう?

他人をどんなに大切に愛しても、お前の思いは何時も届かないんだと

どんなに自分の思いを注ぎ込んでも、他人はけっしてお前を受け入れてはくれないと

だから、他人を自分の一番大切にしてはダメだ。




『誰かなんて いない
僕には僕しか いない
僕は僕だけしか 助けてくれない』


僕を助けてくれるのは・・・・俺しかいない!

そう、強く叫んだのはお前だった。


その悲しい慟哭は、意識の深淵から俺を呼び覚ますほどの力を持っていて ――


だから俺は応えただろう?



――― そう、俺がお前を助けてやる!・・・と


だから、泣かないで待っていてくれ


俺がお前を傷つけた全てを壊すまで


その揺り篭のような深淵で、お前はただ眠っていればいい――――








年下の彼・少年との別離編 10









不遜というのが当たるだろうか?ベットの上に拘束されていても、その少年は慌てることもなく、
ふてぶてしくも傲慢な態度で居並ぶ大人達を見上げていた。

部屋にいるのは、拘束着に着せ替えられて、その上ベットにベルトで固定されたコンラートと、
そのベットサイドにならぶ、ダンヒーリー・勝馬・美子・勝利。その後ろに隠れるように、有利、
ヨザック、村田が並んでいた。ようは、日本でのコンラートの家族が全員揃った形だ。

「うちの息子が、反抗期に入った」

男の子だし、成長として喜ぶべきだろうか?

などと、的外れなことを真剣に悩むダンヒリーに、四方から違うだろうっと、ツッコミが入った。

「ダンさんは、チョット黙ってくれ」

ピシャリと、勝利に抑えられてダンヒーリーは、一歩下がって勝利にその場を譲った。
ここ4年で、有利以下のお子様達に関しては、渋谷家長男の担当ときまっている。

「まずは質問だ。お前も、コンラッドでいいんだな?」

その質問に、コンラートの口元が上がる。

「へぇ、俺もコンラッドだって認めていいのか?」

普通はこういった場合、お前は誰だとか聞くのではないのか?

「質問に質問で答えないで貰いたいが、まぁいい、お前はコンラッドだ」
「なぜ言い切れる」
「うちのゆーちゃんが、お前をコンラッドだと認識しているからだ!」
「・・・・・」

「あ、今馬鹿にしたな?ゆーちゃんのコンラッドセンサーは、正確無比なんだぞ。なにせ、脳味噌
筋肉族だからな。本能で嗅ぎ分けるんだよ。コンラートという存在を」

その答えに面白くなさそうに勝利を見た。

「センサー?ね。それで、シブヤショウリとしてはどうだ?」
「俺も、4年も一緒に暮らしている家族を、間違えるほど耄碌していない」

お前は、コンラッドだ。そう断言した勝利に、判っているなら聞くなと、コンラートが応えた。

「だから、確認だといっただろう?」


どうも、かなりひねくれた性格のようだと、勝利はため息をつきたくなる。だが、同時にこれは
間違いなくコンラートだとわかった。受け答えは捻くれているが、反応の仕方自体はいたって素直だ。

やはり、ベースは、あのコンラートなのだろう?



【二重人格】の可能性がある。そう、小児精神科医でもあるDr・ロドリゲスは、コンラートの様子
から そう判断した。恐らくは、もっと前から存在していたはずだろうと、医者は言ったがそれを
気がついたものはいない。

「それで、何時からお前はいたんだ?」
これは、何時、彼という別人格が生まれたかという意味である。

「それは、コンラートが絶望した時。詳しくは、コンラートの兄に聞け、アイツは俺を識っている」

と、いうことは、彼がまだボストンにいた頃だろう?だが、そんな前からいたのならば、なぜ今まで
一度も《彼》は、表に出てこなかったのだろう?

「アイツに聞け、すべては、それからだ」

それだけ言えば、コンラートは再び黙った。これ以上は、何も話さないとしている。


「あ、あの、コンラート!」
たまらずに、有利が後ろから出てきた。

「コンラッドは!?元のコンラッドは?」
有利は、今表層に出ている《彼》をコンラート、自分の知っている彼をコンラッドとした。無意識
だろうが?別人として認識しているのだろう。

スッと、コンラートの目が細まった。冷たい眼差しは、かつてコンラートから向けられたことの
ないモノだった。

―― 拒絶されている

その視線だけで解かった、彼は自分を拒絶しているのだ。

「どうして―?」

―― 否、わかっている。それは、アノ時、自分が……

ぐっと握った掌に、食い込む爪の感触だけが、妙に生々しかった。









その頃、ヴォルフラムは、同じ屋敷内に軟禁されている父親の元にいた。

「謝ってください」

ヴォルフラムは、父親に向かってそういった。項垂れていた父親は、入口に佇む息子を見た。
まだ、7歳という息子。何時もは、こざっぱりとした愛らしい服を着て、背筋を伸ばして自分を見上
げていたというのに、今日は、目は泣きはらして腫れぼったく、鼻は赤く、声はいくぶん枯れていた。

「泣いていたのか?」
「・・・・コンラート兄上に謝ってください」

問う父に、少年はもう一度自分の望みを口にする。今度は対象者が誰か、はっきりと口に出す。

「謝ってどうする?罪は消えない」
「そうですが、でも謝って欲しいのです!父上!」

ヴォルラムにとっては、彼は父親だ。その父親が、半分とはいえ血の繋がった兄を、人身御供に
差し出したとうのは、ヴォルフラムにとっては、耐え難いものであった。

やがて、ビーレフェルト氏は、のろのろと顔を上げた。彼も疲れきっていた。
権力のしがみ付くのも、振り回されるのも、もうほとほと嫌になっていたのだ。
だから、息子がそう申し出た時に、彼はその申し出を受けたのだった。


それに、ヴォルフラムは嬉しそうに笑った。悪いことをしたら謝って、それから仲直りすればいい。
この数日の自分たちのように。彼は父親の罪の奥深さを未だ理解していなかった。
彼はまだ幼く、世の中に取り返しがつかないものがあるという事を、知っていたのに、若さゆえの
正義か?あやまれば、コンラートならば解かってくれると思っていたのだ。
それを、コンラートが望んでいないということに、思い当たることもなく。
無知という、罪を知っていたはずなのに……

そうしてまた、ヴォルフラムは罪を犯す。

取り返しのつかない罪を―――








邸内は、慌しく人が駆け巡っていた!



「うわぁぁぁ!!」
「ビーレフェルト殿!」



― イッタイ ナニが オキテいるんだ?


ざわつく邸内に、与えられていた部屋からヨザックが飛び出すのを、有利も後を追って来てみれば、
そこには再び悪夢の世界が広がっていた。血走ったコンラートの狂ったような嘲笑。鼻を突く血臭。
這いつくばって、逃げようとする男。それを追詰めるコンラート。


「フハハハハ!だからお前らは嫌いだ!お綺麗な坊ちゃん達、もう許さない?」


廊下に響き渡る少し高い少年の声は、目の前の獲物たちに向かって死刑宣告を下した。





「なんで、コンラートが拘束を解かれているんだ!?」
「それより、軟禁していたはずなのに、何でアノ男!?どうやってコンラートに近づいたんだ?」


コンラートの部屋の呼び出しボタンが押されて、ダンヒーリーとグウェンダルが駆けつけた時は、
ベットに拘束されているはずのコンラートが、廊下に蹲るビーレフェルト氏を追詰めているところだった!

止める間もなく、コンラートがビーレフェルト氏に踊りかかっていた!滅茶苦茶に振り回される
大人の腕を少年が難なく封じる。

「ぎゃぁぁ!!!」
右肩に、覆いかぶさったコンラートの顔が埋まっていた。はっとした、ダンヒーリーが、コンラートの
肩を掴む。無理やり引き離したコンラートの口には、赤い塊が血を滴らしていた!?

ブッ!!

吐き出したものが、べちゃりと、嫌な音をして廊下に転がった。ビーレフェルト氏の肩を押えた
手から、溢れるように血が出てきて、仕立ての良いスーツを真っ赤に染め上げてゆく。


肩を、肉を噛み切ったのだ。人間の?

「う・・・うわぁぁああ!!!」

コンラートの部屋から、幼い子供の悲鳴が上がった。ベット近くの呼び出しボタンを握り締めて、
ガタガタと震えていたのは、ヴォルフラムであった。

「ヴォルフラム、何でお前が!?」
「あ…ッ…‥くっ…アァー」

長兄の問いかけにも、ヴォルフラムは答えられない。真っ赤に血を流す父親と、彼を襲った兄の
口元の血が、ヴォルフラムの意識を占めた。


ダンヒーリーは、これでなぜここに、この男がいるのかがわかった。おそらく、ヴォルフラムの
手引きなのだろう?どんな思案があるにしろ、まったく余計な事をしてくれたとか思えない。

「グウェンダル、そんな奴は後だ!コンラートを止めるぞ!」
ダンヒーリーの台詞に、コンラートは そこに見知った青年を見つけ出した。そして、親しげに
話しかけた。もっとも、表情は真逆だという器用振りを発揮して。

「これは、これは、兄上様?お約束をたがえたようですね?」
「くっ!また、貴様か・・・・弟は、コンラートはどうした!?」

「俺は警告しておいたはずだぞ。こいつ等をコンラートの前に出すのは許さないと、もしも破れば
皆殺しだともね?」

ニィィィーーーーィ 口の中まで真っ赤な貌で、コンラートはグウェンダルに言い放つ。


「おっさん、こっちこっち!」
そこに、ヨザックが木刀片手に、ロドリゲスをつれてきた。また、薬で眠らせるしかない。手足の
拘束が解けている以上、下手に暴れられて自身を傷つけるのが一番困るのだ。

「おっさん、頼むよ!」
走って疲れたらしい医者を放ってヨザックは、木刀を構えてコンラートに対峙した。

「よう、三度目まして、コンラートの兄でーす。暴れる弟は、兄権限で叩きのめさせてもらうぜ!」

「こんな屑を守ろうというのか?なぁ、アンタ、コイツ達がコンラートに何をしたか知っているよな?」
コンラートの瞳が、グウェンダルをみた。それに、苦々しそうにグウェンダルの眉根が寄せられる。

「そんな奴、どうなったって俺の知ったことではないけどよ…。」

― でも、お前が後で傷つくからダメだ!

あの、心優しい少年は、自分の意識がないところであっても、他人をむやみに傷つけたと知ったら、
きっと自分を必要以上に責めるだろう?嘆くだろう?それが解かっているから、ヨザックは止めるべく
対峙した。ニッ!っと、ヨザックは、コンラートに不適に笑いかけた。

「もう怖がらない、俺は、お前のただ一人の兄弟だ!!」

その言葉と同時に打ち込む!木刀の切っ先が、コンラートの頬をする。擦られた熱さに、彼の顔色が
変わる。構わず ヨザックは、次々と攻撃を仕掛けてくる。


『俺の、邪魔を・・・するなァーーー!!!!」

ドンと、突き飛ばされた!壁に背中を打ち付けて、苦しそうにヨザックがむせる。胸を押されて
呼吸がし辛い、うまく酸素が肺に入らない。カラン… 持っていた木刀が転がる。

それを、コンラートが拾う。ニィっと、口の端が持ち上がった。

目が… 笑ってないっ‥

ヨザックは、かすむ目を必死に開けた。一瞬でも反らせば、殺されると思った。だから、一撃目は
どうにか避けられた。だが、続く二撃目はダメージの残る体では避けきれなかった!

「ぐぁッ!!」

肩に食い込む木刀の硬さが、骨を痺れさせ脳に眩むような痛みを伝える。グラり・・と、そのまま
体が傾いで、廊下に倒れふす。そこへ、三撃目が飛んできた。

ガツッ!!だが、それは、背後から忍び寄ってきたダンヒーリーが腕を掴んで止めた。

「兄弟喧嘩ならいくらしてもいいがな、そんな一方的な攻撃は許さんぞ。それは暴力だ」

ぎりぎりと、本気の力でダンヒーリーは、息子の手首を締め上げた。

「これはしつけだそ?そうだったろ?義父殿?これが俺がお前たち大人から教わったことだ」
腕の痛みなど構わずに、コンラートが答えた。そう、これが、コンラートが周りの大人から教わったこと。
毎日毎日、大人は力のない幼い子供に、一方的なしつけという名の暴力を受け続けていた。

ビクリと、廊下の隅に崩れ落ちる男の背が震えた。

「俺は教わったことを、実践しているのさ」

ゲラゲラわらいながら、コンラートは身を捩る。腕は捕まれたままだというのに、ねじれるのも
構わずに走り出す。慌ててダンヒーリーが手を離さなければ、少年の腕は折れていただろう。

そのまま、走り去る少年を、慌てて追う。その後姿を追いながら、ダンヒーリーは、先程の
彼の言葉をかみ締める。

「何をしていたんだっ!ツェツィーリエ!?」

口をついて出たのは、別れた妻の名。コンラートの母親、いくら別の男と再婚したとはいえ、実子を
気に掛ける事も出来なかったのか?いや、彼の異変にさえ気付かなかったのだろうか?本当に?
再会した4年前に、それは気がついていたが、よもやこんな狂った別人格を作り出すまで、息子を
追詰めていて、気付きもしないとは ―――

それは、罪だ。

誰にでもある、親になる権利。しかし、同時に背負う子供を健やかに育て上げる責任と義務を放棄
するならば、果たす能力が無いなら、人は親になってはいけない。


まるでケダモノの背中のようだ。異形と化した我が子・・・。責任は取らねばならない。今のコンラートは、
狂っている。他人の身体も、自分の身体も、どう痛めようが・・・結果、死のうが頓着する様子が見れない。
全てを破壊しつくさなければ、止まらない狂気の塊のようだ。

それでも、自分だけは、親であることを放棄したりはしない。





有利は泣いていた。痛みに顔を歪めているヨザックの側で泣いていた。

足がすくんで何も出来ない。

「坊ちゃん……」
「よざっく‥」

ヨザックは、どうにか上半身を起こすと、壁に背を預けた。打たれた肩が熱を持っている。これは、
当分使い物にならないなっと、どこか冷静な頭が思う。

「坊ちゃん…ねぇ、コンラート…たすけてくださいませんか?」
意識がどこか混濁してきた、まずいと思うが どうにもならなそうだ。まったく、アノ馬鹿、本気で
打ち込みやがってと、悪態を心の中でつく。そうしていないと、すぐに意識は落ちそうになる。

だめだ、まだダメだ。伝えなくてはならないことがある。

「ねぇ、有利さん、アンタだけなんだ。どうか…ガハッ‥ケホッ‥!」

もう自分は、彼の元までいけない。勝利と村田は、事件の隠蔽の為に、外に出ている。ロドリゲスは、
あのオッサンの手当てで忙しい、ヴォルフラムにいたっては、使い物になりはしない。

グウェンダルとダンヒーリーだけで、今の彼を止めるのは難しい。

「でも、おれが行ったって…どうにも」
この前も、今も、足がすくんで動けなかった。自分が行ったとしても、何もできるとは思えない。

「なりますよ。有利さんでしかダメなんです。アイツの心‥救い上げてください」
ヨザックは必死に言い募る。確かに有利は ただの野球小僧だ。体力はあっても、攻撃力はゼロに
近い。力ずくで暴れるコンラートを止めれるわけはない。

「できないよ。おれ……」
有利が弱音を吐く。すると、ヨザックの眦が上がった!

「できないじゃない!やるんだよ!アンタ、コンラートを大事じゃないんですか!?親友だって
言っていたのは口先だけなんですか!?」

「!!!」

「今、アイツ助けて欲しいって、アンタ、アイツの貌を見なかったんですか?哂いながら、泣きそう
だったじゃないですかっ!?」

ヨザックは見ていた。自分に向かって哂いながら木刀を振り下ろす瞬間、彼の瞳が揺らいだのを。
そして、頭めがけて振り下ろされるはずの切っ先は、僅かにそれて肩へと当たった。

アレは絶対に、コンラートが軌道を変えたんだ。アイツは、まだ狂っていない。

「行って!あいつの声、誰にも自分にも聞こえない声、聞いてあげてください。貴方しかそれは
きっと出来ない…だからっ!行ってください!!」


―― 以前、虚無に飲み込まれそうになった彼を、引っ張り上げた彼でしかそれはきっとかなわない。

有利が、じっと、大きな目をヨザックに向けた。ニッと、ヨザックは笑ってみせた。いつもどおりに―

コクンと、有利が頷いて、そのままコンラートの元へと走り出した。

「たのみます。アイツを連れ戻して…」
ぼやける小さな背中を見送って、ヨザックは静かに意識を手放した。





その頃、コンラートは、一つの扉を蹴破って、中に軟禁されていた男の下までたどり着いていた。
突然の訪問者に、中にいた男は驚くも、入ってきたのが彼も良く知る甥だと知って、あからさまに
表情をしかめた。

「なんだ、お前が。薄汚いウェラーの息子。お前のような奴が、私に何の用だ」
「……」
「まぁ、いい、折角開いた扉だ。わしは帰らせてもらうぞ」

スタスタと、やっと開いた扉へと 中にいた金髪碧眼の男、シュトッフェルは、そのまま出てゆこうとする。
いきなりグウェンダルに捕まって、この場所に閉じ込められたのだ。こんな甥につきあってはいられない。
グウェンダルの目的は、きっと自分たちを押しのけてシュピッツヴェーグの実験を握ろうというのに
決まっている。早く、妹である現総帥に彼の悪行を説いて、この際 邪魔な甥を追い出してしまえばいい。
自分には、こんな庶民の血を引く、取るに足らない甥などに構っている暇はないのだ。

「…くぞじじぃ」
ピタリ・・・シュトッフェルの足が止まる。今、この取るに足らない子供が、シュピッツヴェーグ財閥の
頂点に君臨する自分にむかって、暴言をはかなかったか?

「なんだと?」
「くぞじじぃだから、くそじじぃって言ったんだ、この生まれにしか、頼ることの出来ない
実力のなしの卑しい下衆が」

「きっさま!わしを誰だと思っている!お前など、ただの庶民の子倅の癖して、いくらツェリの血を
引くとはいえ、お前など栄光あるシュピッツヴェーグ家の末席を汚すだけでも許しがたいというのに!
このわしに暴言などと・・・!!」

シュットフェルは、目の前にいる甥に掴みかかろうとした。相手は子供だからと、侮っていたから
そんな行動に出たのだろう?

だが、彼は失念していた。彼が知っているのは、7つまでの家から追い出されまいとして、抵抗すら
出来なかったか弱気な少年。4年が経ち11歳となったコンラートは、武道に通じていた。

その上、今、彼の前の前にいるのは、彼の知っている甥ではなく・・・

ヒュン!

耳元で風がなったと思ったら、シュットフェルの肩に痛みが走った。無意識に肩に手が行き、肩に
毛羽立った感触を掴んだ。そろりと見てみれば、切り裂かれたような跡。
正面を向いた彼の目の前を再びヒュン!と空気を裂く音がして、何かが振り落とされた。
何だ?とおもえば、コンラートが木刀の切っ先を突きつけて笑っていた。その突きつけられた先には、
やはり着られたようにスーツが破れていた。

「ひ!!」

間違いない、コレは彼の仕業だ。目の前の、取るに足らない、弱者だった筈の甥だ。

いや、違う!?

今まで、押えられた照明のせいで解かりづらかったが、よく見れば彼の口元から胸元にかけて、
血らしき物がこびりついていた。

しかも、視線に明確な侮蔑と殺意を乗せて、獲物を追い込む愉悦を口元に咲かせたこの少年は、
あの何を言われても俯くしかなかった甥とは、違うモノだ。

「お…ッ‥お前、【何】だ?」
震える指で、シュトッフェルは、目の前の存在(モノ)に問う?

ニィィーーィっと、目が弧を描いた。表情だけで哂った相手は、トンッと、肩に担いだ切っ先を
シュトッフェルに向ける。

「俺は守護者。コンラートを守る存在(モノ)」
「お・・お前が、コンラートではないと?」
「違うな、俺はアイツを守るためだけにいる。だから――」

―― お前は、イラナイ



「守護者?だとしたら、その剣を収めなさい。それを殺せば、コンラートが傷つく。君は、
コンラートを傷つけるものは許さないのだろう?」

パッと、部屋全体の明かりがつき、そのまばゆさに中にいた二人が目を細めた。

滑り込んだ第三者の声。シュトッフェルが天の助けとばかりに振り向いた先には、天敵とも言うべき男、
ダンンヒーリー・ウェラーがいた。それでも、目の前の【化け物】よりはいい。
それに、その後ろには、グウェンダルまでもがいた。ヴォルテールを継いだとはいえ、彼もまた妹の
子供だ。自分にとっての甥だった。

シュトッフェルは、もつれる手足を懸命に動かして、グウェンダルの元へと逃げ出した。

「おお!いい所にきた、グウェンダル!早くアノ【化け物】をどうにかしてくれ!」
甥の腰に取りすがり、猫なで声で媚を売る。その様子に、グウェンダルの眉間の皺が、一層深くなった。

「化け物って、おっさん、それってコンラッドのこと?」
そこに、5番目の人物が現れた。もちろん、それはコンラートを追いかけてきた有利だ。
有利は、英語が堪能ではない。だから、普段は兄やコンラート達に通訳をしてもらいながら、意思疎通を
図るが、さすがに4年も彼らの側にいるのだ。実は聞き取りはそれなりにできるのだった。

だから、ここでの会話も難しいことまでは解からなくても、大まかなことはつかめるのだ。
しかも、そこに込められた感情には、彼は誰よりも聡かった。
特に、コンラートに関する限り、有利のセンサーとも言うべき勘は、外れることはない。

今、彼は静かに怒っていた。

そこにいるのは、コンラートを傷つけた元凶だと、彼が気がついたからだ。そして怒りに身を満た
していた彼は、それゆえにいつもの自分を取り戻していた。

アレほど怖いと思っていた今のコンラートをみても、身体が硬直して動かなくなることもない。
だから、動く身体を使うことも出来た。

バチーーーン!

いっそ、小気味いいとも言うべき音がして、有利のバットタコだらけの手が、シュトッフェルの右頬に
クリーンヒットした。頬を真っ赤に染めて、己を叩いた少年を呆然と見る男にむかって、久々の
トルコ行進曲が演奏しはじめた。

「化け物?ばけものだって?おいオッサン!それを作り出したのは誰だよ!?そこまで、コンラッドを
追い込んだのは誰だよ?それはアンタだろう?アンタがしたことは、児童虐待っていうんだ!いいか?
喧嘩はなぁ?強い奴とやるんだ!弱い奴と解かっているのに吹っかけるのは、いじめって言うんだぞ!
それが一方的なら暴力だ!多数で一人をするならそれは、私刑(リンチ)だし、もちろん傷害罪って
いって、りっぱな犯罪なんだ!アンタなんて、どんなに偉そうなことを言ったって、たかが犯罪者じゃ
ないか?子供相手にしか喧嘩を売れないくせに、大人のような顔をするんじゃない!!」

たどたどしい英語ながら、有利は真っ向からシュトッフェルの行いを断罪した。そして、その真っ直ぐな
視線を今度はコンラートに向ける。彼はそこで、呆然とした表情で有利を見ていた。

それに、くすりと心の中で笑う。なんだ、そんな表情も出来るんじゃん―。コンラートに向かって
一歩踏み出した時…。

ガツン!!っと、嫌な音がすると同時に前後不覚になって有利は倒れた。床に転がってから、あぁ、
耳を殴られたんだと、痛みに少し遅れて理解する。たしか、デットボールが頭に当たった時に、
同じようなことがあったな〜と、野球馬鹿な思考が思い出したからだ。

床に肩から倒れたようだ。痛いな〜と思いつつも、身体が動かない。

その身体を、温かな腕が抱きとめる。真っ赤に口元を染めて覗き込むのは、コンラート。アレほど
怖いと思った彼なのに、今はなんだか抱きしめたくなった。その瞳の中に、ひたすら怖がる子供を
見つけたから・・・。あぁ、なんだ、お前も怖かったのか?

大丈夫だと、声をかけたけど、コンラートの瞳は揺れたままだった。もしかして、聞こえなかった
のかな?

だが、もう一度、口を開こうとして、それは叶わなかった。急速に閉じてゆく意識に、有利は飲み
込まれていったのだった。





うわぁぁぁぁぁーーーーー!!!!!


最後に聞いたのは、悲しいケダモノの咆哮だった。










2009年 9月17日UP
有利のトルコ行進曲久々だ。そして、ここでまたプロットから外れたが、ノリノリでかけたので
良かったと思います。えぇ、後でまた、書き上げていた部分が狂うだけよね。Orz